キッチンの片隅から

主婦のひとりごと日記です

むしろこう理解してしまう・・・

昨夜は夜遅く帰宅したので
 ニュースもみずに寝ていました。
今朝、ネットニュースを見たら
 「どこぞの芸能事務所の社長死去」の話でてんこ盛り。
昨夜は各局一斉に?速報で?特集で?これを報じたそうですね。

わたしには、どうでもいいんですけど。

こんなの、一部の業界だけの話じゃないですか。
タレントならまだわかるが、社長の死去って・・・(-_-;)。
上場一部の社長が死去されて、こういう扱いをしますか?
むしろ私なんぞの世代には、
 (来週売りの週刊誌には出るかもしれないが)
 あの社長のおぞましい、気持ちの悪い噂しか記憶にないと思います。(-_-;)

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今朝、新聞を見て一番頭に来たのは
  「ハンセン病元患者の家族にも賠償、国は控訴せず」の記事です。
原告らは、家族にハンセン病の患者が居たために差別を受けた、と
 国を訴えているのですが・・・。

4月にもこんな日記を書きました。
「旧優生保護法に基づいて不妊手術を受けた被害者の救済法が成立
 について、


 「言っちゃあ悪いが・・・」
そもそも、あの当時の社会状況を考えれば、
 「障害者に不妊手術」は必要悪な政策だったわけで、
 それを現代に基準を置いて「救済」なんてのはおかしい。
 あの、国民全体が貧困の時代、障害のある人たちに子供が育てられましたか?
 生まれた子は放置されていますよ。
 
ハンセン病患者の時にも小泉総理が謝罪していましたが、私は
 「それは違う!」と思っていました。

申し訳ないが、これは当時としてはしょうがなかったのよ、と。
冒頭の、「もういい加減にしてくれ!」 というのは
 この訴えを起こしている被害者とやらに対して。
そしてそれを自分の懐から出すカネじゃないから気楽に
 「人権問題だ!」と焚きつけた弁護士たち、
 それを応援する左まき連中、
 そして後藤謙次らに対しての私の声です。



などなど駄文を綴っていますが、
 要するに、あの当時の医学とあの当時の日本人のメンタルを
 今の時代の定規で計るな!
ということが言いたかったのです。

優生保護法ハンセン病患者への措置も、注射器たらいまわし打ちも、
  当時はしょうがなかったこと、なのです。

なのに今頃になって家族が訴えて来るなんて・・・
 我々世代はいつまで過去を償わなくてはならないのでしょう?

今朝の新聞の見出しには
 「差別ない社会 第一歩に」とありますが、私はむしろ
  こういう訴えを起こす家族に侮蔑の目を向けてしまいます。

国や、大企業を訴える人はよくこんな言葉を口にします。
 「二度とこういうことが起きないように裁判を起こした」と。
ですが、「結局、カネ目当て」にしか見えません。
個人を訴え、たとえ裁判には勝てても支払い能力がなければ
 お金は一銭も入って来ません。
ですが、国を訴えれば必ずお金は入って来る、
 なので、「カネ目当て」という風にしか見えないのです。

私は、うちの子供たちが
 「彼の家、昔はハンセン病の患者がいたらしいよ」という家族とご縁が出来ても
 別になんとも思いませんけどねーーーー。
むしろ、その家族がこの原告に加わっていた、と聞いたら
 そっちの方が怖い。

部落の問題もそうですが、
 今誰もなんとも思っていないことに対して、
 「差別を受けた!」と声高に叫ぶ人達には違和感があります。
なんで、勝手にカミングアウトしているのか。
逆に、こっちはヒクわ。
むしろ、自分達で差別を作り出しているんじゃね?↗