昨日、国税庁職員や証券会社元社員らと共謀した持続化給付金詐欺事件の
リーダーがドバイから帰国しました。
名前は松江大樹容疑者(31)。
どんな事件に関してもそうですが、
容疑者の名前だけで顔写真が出てこないと、私は妙に興味がわきます。(-_-;)
「どんな顔をしているんだろう?」ってね。
田口翔の時も、
谷口光弘の時も(親と結託していた子供はどんな顔?)と
思っていたし。
なので、昨日、松江大樹のご尊顔を拝めてやっと少しスッキリ。(-_-;)
次は、埼玉の建材店に放火したパート従業員・松沢達也の顔(32)です。
早く顔が見たい。
と、何歳になってもミーハー根性が抜けないワタシ。(-_-;)
で、いつも思うことですが
メディアが容疑者をよく知る人たちにマイクを向けると
返って来るのは
「いい人だった。こんな事件を起こすなんて信じられない」の声
ばかりですねー。
今回の放火男も、同様。
悪い人物評は出て来ない。
ま~、どんな人間もほとんどが普通で、良い人で、
事件を起こすようには見えないものです。
(それが前面に出ている人は異常!)
つまり、人間はいろいろな側面を持っていて、
それが何かに触発された時、奥に潜在しているある部分が暴発するんでしょうね。
私も、ふっと魔が差すことはありそうだし。(-_-;)
もし私が何かの事件を起こして容疑者になったら、
周囲はどんな人物評をするのか・・・と、しばし考える。
「minakoと言う人はね、若作りで・・・」とか言われるんだろうか?(-_-;)
私はセッカチでがさつな人間です。
自分でもそれを自覚しているので、仕事と人間関係だけには気を遣い、
間違いのないよう、相手に失礼のないようにと心がけているのですが。
でも、いろんな人がいますよね。
私には(この人だけには会いたくない)という人がいます。
犬の散歩でよく会う、犬友達のAさん。
彼女は社交的で明るくお友達も沢山おり、従って情報量も凄い。
ですが、それ故か?
例えば散歩中に彼女と私とが立ち話をしていて、そこにBさんが通りかかると
たちまちそちらに駆け寄り
「あ!こんにちは。このあいだのアレはどうなった??」などと
会話を始めるのです。
は?私は??置いてきぼり?
もう帰っていいの?
と思うじゃないですか?
私はどうすればいいの?ってね。
ま、その場合「じゃあ、またね!」とこちらが大声を送って
その場を立ち去るのですが、あまりにも失礼だと思います。
それに、こういう顔の広い人はこちらの情報を誰に喋っているかわからない、
という不安もありますし。
そういう人が事件を起こしたら、私は
「普通の人です」なんて凡庸なコメントはしない。
「明るくて発展家(?)さんでしたね。人間関係は広すぎてよくわかりません」
と答えますわ。
だって本当だもの。
まぁ、お亡くなりになったら
「明るくて良い人でした」になりますけどね。
最近、「人付き合い、すごく疲れる」と思うのは、
この自分の性格と、
コロナで1人行動の気楽さに慣れたせいかもしれません。
だって、接触がなければないほど気楽で
「いい人」でいられるもの。
体面を気にし過ぎですかね?(-_-;)